トモコさん、雪だよ。せやな。トモコさん、寒いね。せやな。トモコさん、暑い?せやなあ。
トモコさんはきょうも手づかみでごはんを食べ、お盆のうえに零れた一部をお箸でひろい、ぼたぼたと無頓着に服を机を汚す。
見つけたMさんは金切り声をあげる。何度も何度も、同じ叱責を繰り返す。不安定の度合いで言えば、どちらも変わらない。
トモコさんと二人のとき、わたしは比較的ことばを選ばずに話す。
「ごめんね、トモコさん」
目やにの目立つつぶらな目は、どこを見ているのかわからない。
かわいそうになあ、とトモコさんは言う。
「あんたは器量も良うないし、不器用やし、せやのに気ィばっかり強うて。ほんま、不憫やわ。堪忍してや、どうにかしてやりたかったんやけどなあ、うちも。せめて男やったらなあ。女はあかんわ。うちも女やからってどれほど苦労してきたか、わからんやろうけどなあ、あんたみたいに恵まれてたら、せやけどほんまに」
不快なぶん、文字通り受け取れば済んで、気楽ではある。
トモコさんの話はいくつかレパートリーがあって、しかも台本があるみたいに決まった語り口で披露される。何度も聞かされたわたしはその言い方までそっくり再現できる。だから苛々しているときは話を先取りして強引に完結させてしまうこともままある。だけど最近、そういうことは少ない。
ごめんね、トモコさん。
わたしにもう少し甲斐性や思いやりがあれば、もうあなたが随分していない遠出をいっしょにしてあげられるのにね。京都は止そう。伊勢も。あなたが憶えているどこも避けよう。良い思い出はそのままにしておこう。それ以外の、あなたが知らない、行きたい場所なら、どこへでも。
きのう、することがないから一日中観ていたアニメの中で、ヒロインの女の子が言っていたの。「女は生きてるだけで偉いんだから」。そのとおりかもしれない。わたしもトモコさんも生きているだけで偉いのかもしれない。
でも、Mさんはわたしたちを持て余しているみたい。ごくつぶしを二人も背負い込んだ貧乏くじをあちこちで嘆いているかもね。事実としてそうかはともかく、問題は仮に事実であった場合に、わたしたちがMさんに反論できるかということだと思う。そうするとやっぱり荷物をまとめるべきなんでしょうね。
「ごめんね、トモコさん」
いっしょに消えてあげられなくて。
ほんまにあんたはあかん子やなあ、とトモコさんはいつもの調子で呟いた。