私は土砂降りを待ちました。ひとけのない海岸で、雨に打たれるのを待ちました。しかし、iPhoneの天気予報は肝心なときにあたったためしがありません。その日も白い、無害な雲しかついに現れませんでした。
赤道直下の墓地を思います。決して枯れない花であふれたその光景を瞼の裏に浮かべます。手向けた人々が眠りについても、花は鮮やかなままそこにあります。酸性雨に溶かされて、かたちをとどめなくなるまで。
「人生を有意義にしたい」と嘆く人にプレゼントしたいのは、ピストルと弾をひとつずつ。
ここにそれがあれば私はこめかみに銃口をあて、何分の一かの確率を信じて引き金を引くでしょうか?
わかりません。現実にはそのすばらしい道具は手元になく、私は果物ナイフで腕を切ります。
かわいたバスルームで、だらだらと流れる血を見ながら、私はしらけた気持ちになります。テレビドラマで演出される流血はあまりにもちゃちな気がしていて、でもほんものの血液もこうして見ると実際大差ないのです。赤というより朱色のその、絵具のような液体が、肌に服につたう様子を私は黙って見ています。
痛みはあとから来ます。こうしている間はそうでもありません。あの映画の中の彼女もけろりとしたものでした。スクリーンの中のあの赤色は本物に見えました。いまも本物だと思っています。もちろん、私には血相を変えて飛び込んでくる正体不明の知り合いはいません。だから自分でタオルを巻き、きつく留めます。
みんなわかってくれるよ、と昨夜、電話で友達が言いました。
私はその子を信用しているので、ありがとうという社交辞令は止しました。
先生。貴女にお墨付きをもらった私はだれのこともおそれていません。
だれひとり敵とは思いません。
ただ、私は、わたしが、ただ。
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