出の間と座敷は美しく片付き畳も真新しい緑色で、倍ほども広く感じました。
見覚えのないのれんがあちらこちらにかかっていました。
疲れ切った私はブラウスのまま二階の埃っぽいベッドの上で眠りました。
朝になってもろくに掃除を手伝うことなく、のろのろとジャケットを羽織り墓地に向かいました。
やかんに水を汲んだいとこたちと、骨壺を抱えた弟が「ごえんさん」を待っていました。
まもなく父が袈裟を着た「ごえんさん」を伴って歩いてきました。
先々月砕いたお骨を父が壺から出して墓石に納めました。
お経をいっしょに唱えているのはもちろん父くらいで、私は竹林の向こうを通る電車の音を数えていました。
叔母さんは一歩後ろに下がって手を合わせていました。
祖母がもうどこにもいない、というのは、やはりぴんときませんでした。
帰って、私はいちばんにぎやかなおばさんの相手をしていました。
おばさんは誰に対しても、叔母さんに対しても「ありがとうな」と丁寧にねぎらっていました。
おばさんと二人でいるとき、叔母さんは居間で談笑していました。
ありがとうな、と微笑んだ同じ柔らかいトーンで、「いまさら帰ってきても遅いけどなあ」とおばさんは零しました。
私は無邪気でいようと努めました。
例によって食欲がなく、仕出し弁当に口をつける気になれない私はせっせとウーロン茶を配りました。
さっさと食べ終わったいとこのひとりは煙草を吸っていました。
吸うんだ?と聞くと、吸いますよ、となぜか敬語で返されました。
彼の車のカーステレオからは聞いたことのない・聞くことのないたぐいの音楽が流れていました。
一緒にバドミントンをしていたころからの月日を思いました。
川の横にある変なすべりだいも、公園の遊具もそのままでした。
当時はのぼるのにコツが要った土管にはたやすく腰掛けることができました。
持ち主を喪った目の前の田んぼはもう耕されることはないのだろうかと思いました。
湖は凪いでいました。
桟橋の残骸が見えました。
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