私は電気を点けることもせず、敷いたままの蒲団のうえに倒れました。電池の減ったiPhoneを開き、バスを降りてから十分の間に何の着信もないことを確かめました。震えないそれを充電器につなぎ、いとおしくて吐きそうな男の名前をつぶやきました。自分でもおどろくほどに声に力がありませんでした。
彼は用心深すぎるくらいに周到で、そのくせ詰めが甘いのでした。どちらの部屋にも切らしてから、彼は準備をしなくなりました。「万が一」をおそれはじめたのだと、私は途中で察しました。
手遅れかもしれないよ。私はやや意地の悪い気持ちで思います。実際、アプリのカレンダーに最後に記録したしるしは着実に遠ざかっていました。能天気なメッセージはあらわれなくなり、受診するように、と強めの薦めが強調されて、しばらく経ちます。
杞憂かもしれません。僥倖かもしれません。あるいは最悪の展開かも。
常識を持ち、将来を得たばかりの彼がどう言うか、それはもちろん決まっています。
考えることは億劫で、考えないことは困難なので、はっきりする前にこと切れることがかなえばいちばんいいのです。
頸動脈をみずから掻き切るという方法は、たとえばあの美しい小説の男のように、虚構の中のものだと思っていました。しかし、あの有名な遺書を書いたアスリートが、そうして死んだのを最近になって知りました。
私には当然できないでしょう。凡人が人並みの生活をするには人並みの努力が必要に決まっています。どうやら私にはそれがわかっていなかったようです。無能なまま無為に歳をとりました。Better late than never、果たしてほんとうにそうでしょうか。安吾はきっときっぱりとノーと言うでしょう。
うつくしくなりたいと思ったことはありません。ただ人並みにあこがれてきました。
私は私であることを恥じつづけてきました。
私の苦はそれに尽きます。私であることを肯定されても困ります。
やすらかに断てるように祈ってください。
私は誰も恨んでいません。恨むほど誰にもコミットすることができなかったのです。
血が通っていないようだと、ずいぶんな人に言われました。おそらくそれは正しいので
しょう。
いつのまにか頬を生理的な涙がつたっていました。わずかに残った人間らしい血がそこからすべて流れ出て行ってしまうような気がしました。
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