なんでもいいんだ、たいせつなのは曝すことだから。叩いて矯めて潰して揃えて消して、その過程に貪欲にならないといけない。なんでもいいんだ、それがかなう環境なら。どこでもいい。ここじゃなくていい。
もえるごみを出し終わり、もらいものの黄色いマグカップ、ペパーミントティー。ティファールの電気ポットで、お湯は焦げそうなほど熱く煮える。閉め切った窓越し、こどもたちの声。開けるとさすがに騒々しい。枕を縦にして壁際に置き、もたれかかる。濃い青のハードカバー。ホットケーキを食べにいこうか。私は自分がそうしないのを知っている。
消えてしまいたいなあ。
それは簡便だけれど正しくない。しっくりくる語彙を求めてページを手繰る、手繰る。
ドッジボールがしたい。仮面をつけて自己紹介もせずにいい大人が寄り集まって。バドミントンでもテニスでもいい。男女もごちゃごちゃでいい、手加減しないでいいならなんでも。
ドイツに住みたいって言ったり、キョウトに帰りたいって言ったり、そういうの、真に受けないでくれたらいい。
きょうはまっさらな一日で、昨日とも明日とも無関係で、それで何が困るのだろう。
3階から飛び降りても知れているけれど(いま読み終わった小説の女の子は4階からでも助かった)、シンクの下にしまってある包丁は私の腕をざっくり切るには十分すぎる。
生きて、いるんですね、あなたもわたしも。いま、このとき。死にたい。まさか。でも、死にたい。
死ぬ前にしたいこと?
もう、ないよ。もう叶ってしまったし、叶っていない分はもう永遠にうしなわれてしまった。
ない。
ない。
何もない。
思考が中学生だ。
たぶんそのあたりで成長し損ねたままなんだろう。
知らない。
耐えがたい。
Coccoを聞く。
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