頭の中のごみそうじです
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そこそこぎっしりと埋まっている彼の本棚――というより部屋の空きスペースにきちんと秩序立てて積まれている本たち――はわたしのそれとはほとんど被らない。専攻も趣味もちがうからあたりまえだけれど、たまに共通する小説が置いてあって、びっくりしてわたしは指摘する。そうするとだいたい、アニメの原作だったとか、表紙を描いたのが知っている漫画家だったとか、そういう理由で彼は購入しているのであって、中身はたいして読んでいないという返事でわたしはほっとするのだった。わたしをなぐさめ落ち着かせてくれるかなしい物語を好きな人が必要としていないことはわたしにとってとても幸福なことだからだ。
彼のねむりは深く、予定のない朝はむりに起きようとしない。スイッチのオンオフがはっきりとしている人で、いったん起き上がると無駄なくてきぱきする一方でその必要がなければいつまででもぐっすりとねむっている、その要領よくできた性質にいっそ感心してしまう。朝遅くまでねむれないわたしはいつも壁側に彼を押しやり、起こさないようにそっと起きて家事なりなんなりするのだった。その時間は幸福で退屈で胸の詰まる異様な濃さの時間だった。わたしが起きたことを察せずあるいは無視してすやすやとねむっているその顔。いとおしいというのかにくらしいというのか、どれも足りないからもっとオールマイティな形容詞がほしい、ともかくいろいろないまぜになって胸のあたりで飽和してしまいたまに目からこぼれおちる。今朝も、ゆうべビールを飲んだグラスを洗い、からになったつまみの袋を捨て、ベッドのそばに膝をついた。規則正しい寝息。
わたしは目を閉じて、口に出さずに語りかける。旅に出よう、スコットランドの、島がいっぱいある西のほう。美味しいシングルモルトのウイスキーをつくっている島があるんだ、興味あるでしょう。ふたりじゃなくて、みんなを連れていこう、わたしはひとりさびれたコテージを借りて延々そこで本を読む、そしてみんながウイスキーで潰れたころにひとりけろりとしてマスターと話しているだろうきみの邪魔をしに行くよ。そして生ガキの殻にウイスキーを注いで乾杯しよう。
そこまで詳細に思い浮かべてなみだが出た。わたしはこうやって具体的にいい加減な話をするのが好きで彼にもそう前置きしていろんな計画もどきを口にした、そのたび彼はどこまで真に受ければいいのかわからないとあきれた。もちろんひとつも真に受けなくていい。でも全部本気だった、ひとつ残らずわたしはほんとうにかなってほしいことだけ口にした。それがあまのじゃくなわたしにとってのすなおなふるまいかただった。
これが見納めだと思っても感慨らしい感慨はなかった。それはもっと、ずっとあとに、何度もふとしたときに押し寄せてくるのだろう。そのときの自分はこのときの選択を問い詰めるだろう、でも理解してくれる、どちらもおなじわたしだから。
ごめんね、とわたしは彼にそして未来のわたしに呟いた。烏丸通は雨だった。
にがうりが美味しくて目を見張った、朝はいまいちだったけど夜の味付けはきちんとできた、想定したとおりに味噌が効いてくれた。でも舌と脳はそれでにがうりを見直したわけではなさそうだった、たまたまうまくいったという感じで、だからエリンギみたいに突如常時ストックするようなことにはならないだろう。ともかく夜ごはんはきちんと無理なく完食できた、炭水化物は抜いたにせよひとまずあたたかいものがおなかにたまって、しびれていた頭が落ち着いた。
頭のなかがぎゅっとして目の奥がつんとなるあの感じ、におそわれることが多くなった。もしくはなまりのような眠気。こうして埒もないことをキーボードで打つのは平気なのに、席に座って基本書や演習書をひらくとだめなのだ、不登校の子どもみたいだ、みたいもなにもそのものだけど、それでも今期は無遅刻無欠席で通した。でも試験期間に入ってからは、あ、だめだ、という、怠け癖としか思えないあれが復活した。毎日ごはんを一緒に食べていた友達とそのルーティンをこなすことがつらくなって避けるようにその時間席を立つことが多くなった。きょうもだれひとり話していない。どうやってあのなかに混ざっていたんだっけ?とバスの中で考えてもどうにかなるものでもなく、まあいいかそういう人だと認識してくれるだろう、と投げる。
勤勉さだけがとりえというか、何かをうりにできるならそれくらいしかなかったはずのわたしはだんだんとそれも失っていってしまい、その抜け殻だけをかぶって暮らしている。それを築いたころのわたしはそこそこの成果をあげており、中身がもはやすかすかであってもいまもまあまあ通用する(その環境を悲観せずにはいられない)。ただ、みんないつまでも騙されてはくれないし、実際ほとんど相手にされなくなっている。
でも、からっぽなんです、とわたしは開き直ることができない。必死でからっぽでないようにつくろう、その稚拙さをよくよくわかっているにもかかわらず。これは決してそう意図しているわけではなくてもうしみついた反射なのだ。それぞれが持っている要素を抜きにした人間関係を思春期に入ってからほとんど築く機会がなく、そのへんの感覚がなんだかおかしくなってしまった。わたしは必ず宿題をやっているからこの人たちは関係をキープしておくんだし、わたしと組まないとひとりあぶれてしまうからこの子はわたしに愛想よくするんだ、そういうの。
きみがしっかりしてるなんて思わないよ、と聞いてもいないのに告げてくれる人もいたけどそれはそれでわたしにその人が別の意味づけをしているのはあきらかで、ベクトルが違うだけでそれも同じだし求めていないということを、うまく伝えることはできなかった。わたしがわたしであることに頓着せず接してくれる存在が欲しかった、少なくともあんなに彼を気に入っていたのは彼の接し方はそれに限りなく近かったからというのもあるのではないかと思う。でもわたしはせっかくの縁をふいにしてしまった、でも、あれは、ああなるべくしてなったのだとしか思えない。まだぜんぜん平気じゃないのとは別に、どうしようもなかったよなあというあきらめはなんだかしっかりしていてそういう部分のわたしはとっくに無表情になっていた。でもぜんぜん平気じゃない。ぐずぐずぐずぐずと泣いている。もうだれもまじめに取り合ってくれなくなったけどわたしは上書き保存なんてできないようになっている、室町通のあの部屋が引き払われてしまってもわたしは鍵についたストラップを外すことができないだろう。
憲法を、やらなくちゃ。地方自治の、択一。手つかず。だから、ほら。
こんどこそ、わたしはほんとうにだめになっちゃうのかもしれない。
ようやく、やっと、ほんとうにようやく。
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