彼女の右眼は歯車を映さなかった。代わりに左耳が秒針の音を聞いた。然し左手首の腕時計とは微妙にズレのあるそれは若しかするとくたびれたメトロノームの刻む音だったのかもしれない、ともかくそれは彼女がどんなに深くカナル型のイヤフォンを捩じ込んでもその内側でカチカチと鳴った。気づくと消え、また始まった。彼女を苛立たせはしても片頭痛程には煩わせないそれを彼女は諦めを以て迎えた。
彼女は殆どあらゆる事に不得手を感じた。彼女は自らを俯瞰しえたらその容姿と挙動を観察する行為に五分と耐えきれる自信がなかった。喧騒に対し不快よりも恐怖を覚えた。喧騒のほうでも度々聞えよがしに彼女を嗤った。彼女の理性は彼らの正常に寧ろ安堵した。然し感情は張り詰めていた。
彼女は教壇の目の前の、最も忌避される即ち最も安全な席にすすんで着き、教師の的を得ない話を几帳面なノートの上に構成し直すことに集中した。教師にとってこの上なく御しやすい生徒と看做された彼女はクラスの手本として名前を挙げられた。彼女は当初教師は教師といういきものなのだと思っていた。然し或る時期から教師も人間であり、授業時間外になれば模範生への興味を欠いた只の人に戻ることを悟った。彼女は休憩時間になると教壇からも遠ざかり、自らに寡黙を強いて無心に楽器を叩き続けた。
彼女は何年経っても、寧ろ年数が経過するごとに、転校生以上にストレンジャーである自分をみとめずには居られなかった。彼女の周りには、彼女よりも頭を遣う事に長けていながらも級友たちと朗らかに馴染んでみせる男女が、多くはないが確かに居た。だから意識次第なのだとは判っていた、然し彼女には困難というよりも不可能にしか思われなかった。彼らは大抵彼女にもこだわりなく接した、彼女も彼らを級友として好ましくまた誇りに思った、それが一層彼女を惨めにした。
彼女はそれでも時々は仄かにやわらかいベクトルの噛み合うドラスティックな錯覚に見舞われることもあった。然し長持ちはしなかった。それは錯誤というより自己に対する心裡留保に近いものだったに違いない、彼女の愛が在りえるとすればユダのそれであるということに、彼女は薄々気が付いていた。
彼女はよく眠りよくものを食べる。その生活に長い名前の薬をひとつも必要としない。手首に刃物を宛がったこともない。然し彼女の左耳はこの瞬間も一分間を六十回に分けた間隔で針の振れる音を捉え続ける。あの遺稿の末文を脳裏に繰り返し反芻しながら。