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may be May

頭の中のごみそうじです

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イーゴスとモザイク

夏にはここを去ることばかり考えていた。補講は出るだけ出てレジュメは捨てた。学部既卒と大学院新卒の就活サイトにそれぞれ登録した。主だったインターンの募集が終わりかけ、企業研究にさしかかる時期のようだった。いくつかのメーカーに候補を絞った。三十枚強の短い小説を書いた。短歌は数十首詠んだ。どちらもほとんど推敲しないで茶封筒に詰め、締切の近い賞に送った。イラストも何枚か描いた。ラベルやキャラクターのデザインにも応募した。無理にでも何かを紙にかきつけて、毎日どこかへ宛ててその何かをポストに投函した。二十時まで空いている中央郵便局にも何度か歩いて行った。それは外に出るちょうどいい口実にもなっていた。
 秋がはじまるとそういった衝動は止んだ。就活サイトも公募サイトも開くことはなくなった。クラスが替わり、わたしは前列中央を確保し、クラスメイトのほとんどを視界に収めないで講義を受けることに成功している。オフの金曜日には大学に足を向けず、バスに乗り、電車に乗り、あるいは船に乗って、できるだけ五感を刺激されそうな、それでいて感情を乱されないで済むような場所を選んで歩き回る。
 港街は美しく、夜は怖くない。海辺に建つ観覧車はいままさに地元で分解されつつあるそれを思い起こさせる。後者は前者のようにぴかぴかと気の利いた光りかたはしなかったが、ずっと大きく、ずっと立派だ。出来た当時は世界一を誇っていた。遊園地が早くに潰れてスーパーマーケットが出来てからも、観覧車だけは停まったままでそこにあった。何もない土地の僅かなランドマークのひとつだった。あるときは近所の芸術大学にあるオブジェを乗せて動かされ、話題になったりもしていた。もちろんそれは観覧車としての正しい役目の果たし方とは思われない。途方に暮れたようにそれはそこにあり続けていた。しかしようやくめどが立った。わたしたちはみんな予想もしないその行き先におどろいた。わたしたちがかつて一度は子どものころに乗り、あるいは毎日のように視界に収め続けてきたあの観覧車はベトナムに行き、現地でまたゆっくりと円を描いて子どもたちを空中にはこぶことになったのだ。ブライアン・ウィルソンにアメリカ人らしからぬ第二章が存在しえたように、その観覧車にも現役としての続きが用意されたことになる。ここで使い途がなくても、別の場所ならばありえる。地面に縫いつけられた老いぼれ観覧車でさえそれを見つけたのだ。すばらしい。率直にわたしはそう思う。
 言うまでもないことだけれど、司法試験に通るための勉強に、それほど突出した頭のよさは要らない(あくまで、それほどは)。求められるのは根気だ。科目を問わず問われることは変わらない。知っておくべき前提が膨大なだけだ。わたしの頭はその根気さえ尽くせばまずまず使えるようにはできているが、かと言って地道な努力を省略できるほどよくできてもいない。
 
 民主主義社会において司法に課される役割は多数決のもとに定められる法律によって害されうる少数者の側に立つことだ。そして、自由心証主義のもと、裁判官はみずからの経験則により事実を認定し、その経験則は常識に則ったものであることが求められる。なぜならば裁判所に対する国民の信頼なくして司法は立ち行かないからだ。同時に、この経験則にはかならず例外があることをわれわれは忘れてはならない。…旨の説明を先日聞いた。喉もとに小骨のようにひっかかるこの感覚の正体はなんだろう?いずれにせよ、「彼ら」の語る経験則に、わたしは失望を感じなかったためしはないのだ。
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